あれから半年が経ちました


皆さんと同じように毎日が相変わらず映画の中の出来事のようです。
小さな針の穴の向こうにある光を見て光があることに感謝し涙する日々、
立ちすくむだけの日々の繰り返し。
星の並びや月の知らせで今日のあたりは折り返しの様子。
少し言葉を残してみようと思います。


この半年、私の人生も変わってしまいました。
震災以来お会いした方々
街ですれ違うだけの知らない方々
自然やこれまであった’あたりまえ’の事物
全てに目を細めてしまうほど眩しい存在でした。
これは震災のお陰です。
私の見方が変わったのか、皆さんがより”生きている”ということなのか。
両方ですね。
本当とウソが少しでも知れたのは良かったと思っています。
皆さん同様、この現実への対処と
色んな人間模様にもストレス多い日々でした。
人それぞれを受け入れるのはこんなにも難しいものかと深いため息も何度もつきました。
これまでの自分の世間知らずと稚拙さも浮き彫りになりました。
光は何処までも感動的で体中びりびりするほど強く、またその逆に陰はどこまでも深く。



何の気なしに手にした本にイスラム教のおはなしが出てきました。
【人間の脳の中に『知恵』と『憤怒』を、顔には『羞恥』と『貪欲』を
胸の中には『知識』と『嫉妬』を与えた。正と負を与えた。】



どの人にも正と負がありますね。
私がこの半年見てきた闇は
皆さんもご存知の、企業、政治家、マスコミ、どうしようもない闇。
操られていた人生から自由を取り戻したいです。
そしてもう一つ苦しくなってしまうのは
正を追う戦士達の負とでも言いましょうか
正義は時に「刃物」となるということなのでしょうか。
光は光、正は正でしかない、、という解釈に違和感を感じました。
被災地の方々をどれだけ思っているのか、、
踏み絵を踏ます様なイベントオファーももうやめましょう。
私の間違いを正そうとする連絡ももう十分感謝しています。
「わかってない。切れそうだ」と言われる方には
「不快にさせてごめんなさい。」としか返せません。
”正”に対する賛同を求めるだけの人間関係も疲れました。
私はイスラム信者ではありませんが
前述した産まれながらに全ての人が持っている光と陰を
これからは理解し、反省し、おごらず、感謝し、
その上で手を取り合えたら最高だと思います。



例え真実の言動や行為であっても、
例えば愛溢れる立派な言動や行為であっても
またその逆であっても
私含め全ての人には正負が眠っている事を忘れてはいけないのだと思うのです。
そのことを強く印象づけてくれた
福島の 武藤類子さんのデモでの演説です。
過酷な状況の下、怒りと不安で気持ちが溢れ出しそうな状況にも関わらず
(もしかしたら、地獄を見たからこその深い見解をお持ちなのかもしれません)
『ありがとう』と『ごめんなさい』から始めたスピーチに
心打たれ、尊敬し、感謝し、見習いたいな、、と思いました。



人との対話はまず「ありがとう」と「ごめんなさい」から始めたい。
尊敬し讃え合い感謝しなぐさめ合い決して奢らず反省を忘れず。
そうしたら強く手を取り合う事が出来るのではないでしょうか?
そこを省略すると、私もあなたも差別のカタマリとなり誰かを傷つけるだけではないでしょうか?
人は差別を無意識にしてしまうものだということも今回の事で学びましょう。
肝に銘じましょう。
どんなに立派であろうと
どんなに不器用であろうと
どんなに強くとも
どんなに弱虫であろうと
皆の中にあると私も思うのですよ。
正と負の両方が。



自分自身のハードルは低く低くなりました。
どうしようもないちっぽけな存在です。
ちっぽけな事、続けて行こうと思います。
私は、正にも負にもなりたくない。
バランスなんて未熟な私にとれるわけもなし。
それでも自身に在る陰と陽を見つめて生きているのが
生きている証なのかもしれないと
あれから毎日生きる事を考えた今の答えはそれです。
明日はまたわかりません。