3/26ニセコ、3/29釧路のライブは予定通りです。

震災以来日本の皆様踏ん張ってますね。
お疲れさまです。
上がったり下がったり忙しい毎日ほんとにお疲れ様です。


この2週間あまり、毎日を乗り越えるのに走り回りました。
ずっと答えの出せなかった北海道のライブも
主催者、協力者、色んな人と話し合い意見交換を続けました。
結果、誰かを不快な思いにさせてしまうかもしれませんし、
明日何がおこるかもわからない毎日でお客様に対して安全の保証は
正直100%ではありませんが、難しい時期ということは承知しながら、
ニセコ、釧路のライブを予定通り行う運びとなりましたことを報告します。


主催者、協力者の皆様とは、時には涙で時には声を荒げて時には言葉も出なくなり、、、
色々な意見を出し合いました。
数日前、ニセコの友人と大げんかをしました。
私の人生では2回目の人を怒鳴るという経験もしました。嫌なものです。
このツアーはいつも以上に皆の心が一つでないと実現しないと私は言い続けていました、
私、私の家族、出演者、出演者の家族、主催者、主催者の家族、協力者、協力者の家族、、、
全てです。
まずそれを見極めたいと話しました。
開催する、しないの前に、その『点』というものがどこにあるのかを
見極めたいと思いました。
その結果は私の想いだけで左右できる話ではありません。
大自然の営みに手も足もでず、手と足を出そうとしていた人間のおごりを恥じている今、
現実味のない大きな想いなどは意味をなさない事も重々承知しています。
その上で、皆の点はどこにあるのかを教えて欲しいとお願いしました。
それに対してケンカの相手は
「一つになろうなんて、あなたのワガママ、あまい、奇麗ごと言うな」と主張しました。
誤解のないように補足すると、私の状況を心配するあまり出て来た彼の屈折した愛の言葉でした。
でも、私はとうとう怒鳴ってしまいました。


今、皆が変わらなければならないと感じています。
変わらざるおえない部分も多々あります。
もっと助け合おうと声をかけあっています。
もっと思いやろうと声をかけあっています。
変わると言うのは何でしょうか?生まれ変わるということでしょうか?
進化するということでしょうか?
私は、もしかしたらただ皆が本当の自分自身に戻る事のように思います。


思い返して下さい。
震災前、
「一つになろう、助け合おう、思いやろう」と言う人のこと
言い終わる前に、言葉に言葉をかぶせかけるように
「あまいんだよ!奇麗ごと言うな!」と言いませんでしたか?
言葉にさえしなくても、傍観者になりませんでしたか?
私もです。。。


今、日本の人が感じている『愛情』は、
震災で心を痛めて湧いて来た感情だけではないと思います。
誰しもがもともと溢れんばかりに持っていた感情に思えます。
それを、「あまいんだよ!奇麗ごと言うな!」を人にも自分自身にも連発して
閉じ込めてしまったのが日本の空気ではなかったでしょうか?
閉まってしまった感情をもう一度引っ張りだすのは勇気がいります。
今まで閉まっていた事を正当化したい防御反応もあるでしょう。
誰も助けてはくれません。
自分で処理するしかありません。
ただ、少しでもその勇気に私が寄り添う事が出来るのなら
私は予定通りニセコと釧路で演奏しようと思いした。


なるべく多くの皆様にお会い出来る事祈ってはいますが
未来を不安に思えば、必ず念が飛ぶので控えたい所ではありますが
それでもやはり何がおこるかわからない現実は変わりません。
当日会場に足を運ぶ皆様、皆さんの愛する方とその事に関して意見交換をしてください。
その上でいらしていただけたら嬉しいです。
皆さんの点と寄り添える運命を祈ります。




※今回のイベント収益の一部は東北関東大震災の被災地への寄付とさせていただきます。
一つになってくれた、G宮下君、ニセコ主催者ムーキー、釧路replay store志田さん、ニセコ玄天カフェ、釧路
BAR BROS、また多くの協力者にまず御礼を申し上げます。あなた方の一歩を踏み出した勇気リスペクト。